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神戸家庭裁判所 昭和58年(少)794号 決定 1983年5月16日

少年 Z・S(昭三八・五・二五生)

主文

少年を保護処分に付さない。

理由

一  本件送致事実は「少年は、法定の除外事由がないのに、昭和五七年一二月三〇日ころの午前一一時ごろ、神戸市東灘区○○町×丁目×番×号○○荘の自宅において、Aに対し、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパンを含有する粉末約○・○一グラムを無償で譲渡したものである」というにある。

二  成程、本件記録中の、採尿報告書、同意書、任意提出書、領置調書及び鑑定書の各謄本、並びにAの司法警察員に対する昭和五八年一月一二日付及び同月一三日付各供述調書の謄本を総合すれば、A(当一八歳)が、少年独り住まいの神戸市東灘区○○町×丁目×番×号○○荘に、昭和五七年一二月八日から同月三〇日まで寄食していたところ、この間大体隔日平均にいずれも同所において、少年から覚せい剤様のもの(鑑定等によつてフエニルメチルアミノプロパンを含有する物質であるとの科学的、合理的な確証の得られていない場合は単に覚せい剤様のものという。以下同様。)の水溶液を注射して貰つたり、同液の入つた注射器を受取つて自ら注射したりしていたのであるが、同月三〇日の午前一一時ごろ、同所において少年が覚せい剤約〇・〇一グラムを水に溶かしてこれを注射器に吸い込ませたうえ、「おい、いけや」と言つてその注射器を差し出してくれたので、これを受取つて自ら即座に自己の左腕に注射し、その約三時間後の街頭歩行中警察官の職務質問を受け、その際左腕の注射痕を発見されたことから間もなく採尿を受け、該尿の鑑定の結果、該尿は覚せい剤フエニルメチルアミノプロパンを含有する旨の確証の得られたことが認められるから、上記証拠に依拠する限り本件送致事実を認めることができる。

三  しかしながら、少年は、司法警察員に対する各供述調書(合計四通)及び当審判廷では以下のように供述しているのである。

1  少年は、昭和五七年一二月初旬ころ、上記○○荘の自宅近くのパチンコ店「○△会館」において遊興中、かねて顔見知りの「B」なる者(二九歳位)から覚せい剤の注射を勧められ、これを承諾して同人に対して代金五、〇〇〇円を手渡したところ、間もなく同人に同市中央区○○川筋所在の△△ホテルの北隣りの密売所に案内されたうえ、同所においてその女主人である「C子」なる者(五○歳過ぎ)から自己の右腕に覚せい剤様のものの水溶液を注射して貰つたのであつて、これが自己の覚せい剤様のものの使用の初体験である。

2  このような出来事に引き続いた当日中、以前に親交のあつた明石市○○町に居住するAに架電して同人を国鉄元町駅まで呼び出したうえ上記密売所に案内したところ、同人も上記C子から覚せい剤様のものの水溶液を注射して貰つた挙句、当夜から同人共々同所即ち上記C子方に寝泊りするようになり、そのような状態が同月二七日まで続き、この間自己もAも大体隔日平均にいずれも同所において、上記C子の提供する覚せい剤様のものの水溶液を同人から注射して貰つたり、各自が自分で注射したりしていた。なお少年自身はこの間も従前からの勤務先であるD水産株式会社に上記C子方から通勤し、その途中に上記○○荘の自宅に立寄ることもあつた。またこの間にAと共に深夜に同荘に戻つて寝たこともあつた。

3  このような状態にあつた同月二五日、Aと一緒に上記C子方屋内の掃除中、床板の一部が若干盛り上がつていることに気付いて不審を抱き、Aと共にその床板をはがした結果、その床下から約一〇〇グラムの覚せい剤様のものを発見したところ、これを上記C子が拘束中の内夫の隠匿していたものが見付かつたとて大いに嬉んで少年及びAの二人に対する謝礼の趣旨で、末端価格一万円相当の覚せい剤様のものの入つたいわゆるパケ一個を少年に手渡してくれたので、少年はこれを後日(前掲の供述調書中では、二日後の同月二七日些細なことから上記C子と口論の挙句同日午後一一時ころAと共に上記○○荘の自宅に帰つたその際と述べ、当審判廷では、Aが同所へ持つて置いておくように言つたので、当日の翌日である同月二六日の早朝出勤の途中に自宅に立寄つたその際と述べる)上記○○荘の自宅に隠しておいた。

4  かくして少年及びAは同月二七日から翌二八日にかけての深夜に上記○○荘の自宅で就寝したのであるが、同日午前一一時ころ同所に少年の母が少年を気遣つてその様子を見に訪ねて来て、初対面のAを交えた三人で近くの飲食店で昼食を摂つた後、三人で再び上記○○荘に戻つたのに、同日夕刻にはAの姿が見えなくなり、以後同人とは全く会つていない。

5  そして少年は同日夕刻、Aが家出中であると察して同人をその親許に帰住させるべく再び上記○○荘に訪ねて来た少年の母や養父(母の再婚相手)から、少年がAを逃がしたとて強く叱責されたので、その直後に同荘を飛び出してしまつた。

6  それから少年は翌五八年一月一七日まで上記C子方に寄食し続け、この間上記○○荘には立寄つたことすらない。

7  なお、上記の如く昭和五七年一二月二七日から翌二八日にかけての深夜に上記○○荘で就寝する際、Aに対して上記パケの在処を教えたところ、同人が上記の如く少年の母が最初に訪ねて来た直後、少年に対して自ら既に上記パケ中の覚せい剤様のものの注射をした旨を告げると共に中身が三分の二位に減つた上記パケを手渡してくれた。

四  以上のように本件送致事実の成否にかかわる重要な点に証拠上の不一致が顕著なので、当裁判所はAを証人として尋問したのであるが、同証人は、前項の少年の供述中、2及び4の各供述と同旨の証言をなし、3の供述に対応する事実に関しては「覚えていません。そのときにはそのように覚えていたかも知れませんが、今は頭の中にありません」と微妙な証言をなし、7の供述に対応する事実に関してはこれを否定したうえ「○○荘ではシヤブを打つていません」「Zからシヤブを貰つたことはありません」「受取つたこともありません」と証言し、本件送致事実に符合する同証人の司法警察員に対する各供述調書(合計五通、うち四通は謄本)と殆んど全面的に異なり、本件送致事実を全面的に否定することに帰する証言をするのである。(前項の少年の供述中のその余の1、5及び6はAの直接関知しないことである)

五  しかして、以上の証拠の信用性について以下検討する。

(イ)  少年の供述は、Aの供述終了後約一月経過してから始まつているのに拘らず、さ末な点を除いては警察、審判共に一貫している。

(ロ)  A証人が前項の如く証言することは、同人の前掲各供述調書に全くあらわれていない自己に極めて不利な事情(昭和五七年一二月初旬ころから約二〇日間、自ら密売所に入り浸つていたこと)を始めて自認するものであると共に、その自認を前提として証言しているものである。

(ハ)  証人Z・T子(少年の母)の証言、A自身が職務質問を受けた際(昭和五七年一二月三〇日)と第一回及び第二回供述調書(昭和五八年一月七日及び同月一〇日)ではいずれも最近に覚せい剤様のものを注射したのは昭和五七年一二月二七日であると述べている事実、更に附添人の陳述書(附添人が所轄警察署に対し、少年の保護者からの少年の保護願書の記載内容の証明を求めたところこれを拒否され、その閲覧のみを許された結果、同書には願出日時として昭和五七年一二月三一日午後二時、家出日時として同月二八日午後六時と記載されていたことを述べるもの)を総合すれば、上記三項の少年の供述中の4の供述(特に日時の点)は、そのとおり確実と断言することができる。

以上指摘の諸点から、Aの司法警察員に対する各供述調書は極めて信用性に乏しいといわざるを得ず、同人の証言と少年の供述は少くとも両者が一致する範囲内では極めて信用性が高いといわなければならない。

六  なお、少年の検察官に対する供述調書(昭和五八年二月一六日)は本件送致事実を認める趣旨になつているのであるが、同調書は僅か一頁半の極めて短い記載で著しく具体性に欠け、その二日前からの否認に帰する少年の司法警察員に対する各供述調書の詳細な具体的供述記載との関連性も全く窺えず、少年に対する逮捕状による拘束可能期間の最終日のものであることも考慮すれば、該調書も極めて信用性に乏しいといわざるを得ない。そして又、A証人は、上記の如く少年の許より姿を消してから自己が採尿された昭和五七年一二月三〇日までの間にも、少年とは無関係に覚せい剤様のものを注射したことがあると思うし、当該採尿の三時間位前にも同様に注射したと思うという証言をするのであるから、当該採尿を対象資料とする本件記録中の鑑定書は、Aが、少年の所持する覚せい剤を、譲渡されて注射したとか無断にしろ注射したとか、要するに少年が覚せい剤取締法違反の行為をなしたと認定するに必要な一要件であるべき、少年に関係する当該対象物質がフエニルメチルアミノプロパンを含有するものであると断定するに由ない道理である。

七  以上の次第で、本件送致事実は勿論のこと、これを日時場所の変更のみならず行為をも変更して覚せい剤取締法違反又は他の犯罪に認定する余地も全く存しないから、本件は犯罪の証明がないものとして、保護処分に付することができないといわなければならない。

八  尤も、以上の証拠によつても、少年の昭和五七年一二月初旬ころから保護者の許に帰住した昭和五八年二月一一日ころまでの覚せい剤様のものの自己使用、しかもこの間の大部分を密売所内で過ごしていた事実を中核とする行状を、少年法三条一項三号イ乃至ニに該当する虞犯事由として把握して虞犯事件として変更又はいわゆる報告立件したうえ、これを認定する余地は充分にある。しかも上記のような虞犯行状の内容程度、少年の生活史(高校二年生の春から夏にかけて長期家出して同棲し、やがて中退したうえ以後殆んどを保護者とは別居して頻回転職しながらも稼働状態はほぼ継続している)、非行歴(中学時代までは非行がみられないが、高校時代の単車盗一件及び同一中学卒業生グループの一員として他の中学生グループとの喧嘩に加わつたことで昭和五五年二月不開始決定、毒劇物法違反一件で同五六年九月不処分、同法違反及び窃盗各一件と不良交遊や不純異性交遊を主とする虞犯で同五七年四月不処分、毒劇物法違反二件で同年一〇月四日保護観察)、性格(年齢不相応に幼稚で、気弱、小心、依存性の強いことが鑑別及び調査において指摘されている)、環境(養父は極めて厳格で正義感が強く男性性が顕著であり、母は過干渉、過保護的傾向が目立つが、家庭内に格別の問題は見られない)を総合すれば、少年の薬物乱用を主とする非行性は甚だ顕著であり、この種の非行抑止に主眼をおいた当裁判所の少年に対する処遇も度重なる保護的措置から保護観察に至り、その約二月後から始つた一段と甚だしい上記のような虞犯行状を契機とする少年に対する処遇としては、格別の事情の認められない限り強制施設内における矯正教育に望みを託するのも已むを得ないと思われる。

九  しかしながら、送致犯罪事実は勿論のこと、他の犯罪に認定する余地もないことに帰したのに、当該送致犯罪事実の身柄拘束中の捜査、調査及び審判の過程に確認された虞犯事由を契機に虞犯事件として変更又は報告立件したうえ、当該少年を強制施設内処遇まですることは、少年及び保護者の関係諸機関に対する軽視できない不信感を抱かせることが充分予測され、その結果は保護処分の教育効果を相当程度減殺しかねないことが危惧される。そしてまたこのような考慮から第二回審判期日(昭和五八年三月一二日)において更に審判を続行することとしたうえ観護措置も取消したところ、少年は、爾来約二〇日間は同市東灘区○△町×番地の保護者の許に謹慎して一切外出もせず、この間に従来の不良仲間(特にシンナー仲間)との隔絶を願う保護者の努力によつて、愛知県江南市で母方伯父の友人が営む鉄筋組立業に住込み就職することになり、同年四月二日から肩書住居に年輩従業員と同居しながら皆勤しているとのことであり、最終(第三回)審判期日には血色よく身心共に健康に見受けられ、実績期間が未だ充分とはいえないながら、健全な生活態度を維持していることを措信するに足る。そうすると、少年の要保護性は強制施設内処遇を相当とするものでもないと思料され、現在保護観察中であり、その残余期間一年四月余を二年弱に延長する程の必要性も窺えないから、結局本件を虞犯事件として変更又は報告立件しても保護処分に付する必要がないことに帰する。

一〇  よつて、少年法二三条二項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 谷清次)

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